全てを説明し得る、2つの当たり前の基準について
なんなら全て説明できるんじゃないかっていうくらい、この当たり前の基準って根本的な考え方だなと思います。
1. 自分の中の当たり前の基準
一番始めに「当たり前の基準」に触れたのはこの記事。
「誰もが“自分はやるべきことをやっている”“一生懸命やっている”と思っている。しかし、“当たり前”と思ってやっていることのレベルは各人違うのです。その小さな積み重ねの差が、5年後、10年後には圧倒的な差になっていく」
これは、自分の中の当たり前の基準です。何をするにしても、この基準を基に行動するため、この基準がどこにあるのかが非常に重要になってきます。
なわとび、ダブルダッチを週1回1時間跳んでいることが基準になっているチーム、団体がいたとしましょう。これを週2回にしたり、2時間跳んだりする事は当たり前の基準を上回るわけですから、それなりの頑張りが必要になります。
彼らがなわとびを週2回跳ぶ事を当たり前の基準にしようとしたとしましょう。これにはかなりの頑張りが必要である事は言うまでもありません。2か月も3か月も当たり前の基準を超える頑張りをして、徐々に当たり前を変えていくことでしょう。
この自分(達)の中にある当たり前の基準に大きな影響を与えているのが、次で説明する「環境の当たり前の基準」です。
2. 環境の当たり前の基準
これは、自分がいるその場所に存在する当たり前の基準です。
例えば、週1回1時間跳んでいる事が当たり前の団体に入ってきた人は、「週1回1時間」が自動的に基準となるでしょう。週2回、週3回の団体に入っても然りです。
違う例。100m競走で、10秒の壁というのがあったそうです。
1983年5月14日9秒97を記録したカール・ルイスが、平地で9秒台を達成した最初の短距離選手となった。ルイスに続いてカルヴィン・スミスが1983年7月3日に9秒93の世界新記録を樹立。同年8月にも9秒台を記録し、10秒の壁を2度越えた最初の短距離選手になった。その後1980年代に多くの選手が10秒の壁を破った。
10秒は切る事が出来ないという基準があって、それに向けてみんな努力したわけですが、なかなか切る事ができない。しかし、一旦1人が9秒台を出すと、あっという間に9秒台の選手がいっぱい出てきたのです。
これは、当たり前の基準が変化したことによる心理的な効果が作用していたのではないでしょうか(勿論それだけではないでしょうが)。
- みんなバク転ができる幼稚園
- みんな3重跳びが跳べる子供(大人)の団体
- みんな英語と日本語が話せるインターナショナルスクール
教える人がいるということも含めて、全て環境の当たり前の基準が大きく作用した結果であると思います。
ちょっとした結論
ここから分かる事は色々とあるのですが、例えば
- やりたい事が当たり前の環境にいるとできるようになりやすい
- 新しく入ってくる人にやって欲しいことは、さも当然のように自分たちが行う
あたりは意識していることです。
環境によって作られる当たり前の基準は不可避であることが物凄い多いのです。
しかし、自分一人で頑張るよりもはるかに大きな効果を得られる可能性があるので、この「環境の当たり前の基準」もしっかりと頭に入れておきたいところですね。
さて、この当たり前の基準と関連して、次回かその次にこのタイトルで書きたいと思います。
「活性化エネルギーと当たり前の基準について(仮題)」